七尾は衰退の危機だった。しかしジャズが・・・
石川県の中でも能登、その中心部の七尾市は、バブル直前、
その活気は町全体から消え去ろうとしていました。

漁港として重宝されていた七尾湾は、港町へと急速に発展したものの、
1970年代から金沢港の開港によりその取引の場が移り変わり、
1972年をピークに減少を続けました。
また能登有料道路が七尾市から大きく外れて建設されたことで
交通の不便さから見ても金沢と比較するとハンディを持ってしまうことに。
このように次第に衰退しつつあった経済・産業・・・
ついには高齢化が進み、過疎化が深刻に。
能登全体が閉塞感でいっぱいだったにちがいありません。
そんなとき、港町の七尾だからこその何かを・・・
七尾市が地域再生のために「港町であることを生かした」プランが立ち上げられました。
これはいわゆる「ウォーターフロント構想」というもので、
湾岸部に市民や観光客を招き入れられるように整備、賑わいを出していく、
というものです。
それから、このウォーターフロント構想を実現するために、
将来の七尾のモデルとなる都市を探すことにしました。
しかし、実際は人口の多い都市ばかりで、参考にはならなかったのです。